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﹃義経千本桜﹄四段目﹁河連法眼館﹂ 左から二代目澤村國太郞の狐忠信︵源九郎狐︶、初代淺尾額十郞のしづかノ前。文政8年︵1825年︶8月、大坂中の芝居。よし国画。
寿好堂 よし国︵じゅこうどう よしくに、生没年不詳︶とは、江戸時代の大坂の浮世絵師。
蘭英斎芦国の門人と推定される。大坂の人で多くの役者絵を描く。作画期は文化10年︵1813年︶から天保3年︵1832年︶にかけてで、その間に数種の画名、画号を用いている。当初は寿好または芦麿、芦丸と名乗り、のち文化13年の頃によし国と改名した。ほかにも作からは芳国、芳洲、寿好堂、寿好亭、寿公堂の画名や号が確認できる。﹁寿好﹂という画号から、松好斎半兵衛の門人かともいわれている。また﹁たかき﹂という印章を使用したものがあり、これは﹁高木﹂または﹁高城﹂という名をあらわしたものかという。落款には豊川や高という姓も見られる。
文化文政期において大坂で役者絵を普及させた絵師の一人であり、狂歌師﹁狂画連よし国﹂としても活躍しており、役者絵にも多くの狂歌を賛として記している。門人に寿暁堂梅国、寿鶴堂政国、寿陽堂とし国、寿宝堂千歌国、寿松堂ふじ国、寿曙堂清国、豊川英国、高よし幸などがいる。
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