山口亮一
山口 亮一︵やまぐち りょういち、1880年8月10日 - 1967年10月30日︶は、日本の洋画家。佐賀市精町出身。
東京美術学校︵現・東京芸術大学︶卒業。大学卒業後、帰郷し制作と後進の指導にあたる。久米桂一郎、岡田三郎助、北島浅一、御厨純一らと佐賀美術協会を創設。同協会会長、佐賀師範学校教諭を務めた。
略歴[編集]
●1880年︵明治13年︶ 鍋島藩の名家であった中野家に生まれる。幼名は辰三。実父は銀行頭取などを務めた中野致明[2]。 ●1886年︵明治19年︶ 蘭学医・山口亮橘︵りょうきつ︶の養子となり亮一と改名[3]。 ●1903年︵明治36年︶ 黒田清輝主宰の白馬会に入所。 ●1906年︵明治39年︶ 東京美術学校西洋画科入学。 ●1910年︵明治43年︶ 第4回文展初入選(わら家)。 同年山口スガと結婚。 ●1911年︵明治44年︶ 東京美術学校卒業、帰郷して一生佐賀に住み制作と後進の指導にあたる。 ●1913年︵大正2年︶ 久米桂一郎、岡田三郎助、北島浅一、御厨純一などと佐賀美術協会を創設する。後援団体会長に実父の中野が就任のほか、財界人が支援した[3]。 ●1920年︵大正9年︶ 第2回帝展入選(燈下の静物)宮内省買上を賜る。 ●1921年︵大正10年︶ 佐賀県師範学校に奉職、昭和18年退職まで23年間美術教諭を勤める。 ●1922年︵昭和11年︶ 帝展無鑑査になる(菊花)。 ●1946年︵昭和21年︶ 佐賀美術工芸研究所を開設し陶磁器美術指導にあたる。 ●1966年︵昭和41年︶ 勲四等に叙せられ、瑞宝章を受く。 ●1967年︵昭和42年︶ 87歳で永眠。脚注[編集]
- ^ 山口亮一旧宅 - 佐賀市
- ^ 山口亮一(読み)やまぐち りょういちコトバンク
- ^ a b 山口亮一支援者の実像をパネル、写真などで振り返る佐賀新聞、2018/6/7