山崎正三・都家文路
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山崎正三・都家文路︵やまざきしょうざ・みやこやふみじ︶は、昭和期に活躍した夫婦漫才︵音曲漫才︶。
戦後あほだら経を売りにした数少ない夫婦のコンビ。あほだら経の特徴であった小さな三つの木魚を叩いていた。1934年にコンビ結成。正三が亡くなるまでコンビを続け、戦後は吉本興業の花月などで活動していたが、最晩年はキタの東宝系の演芸場﹁トップホット﹂に出演。
メンバー[編集]
●山崎正三︵やまざきしょうぞう、後にしょうざ、1906年 - 1983年11月6日︶本名は山崎源次郎。立ち位置は向かって左。 大阪府の生まれ。 あほだら経の初代若松家正右衛門の門下[1]。色々コンビを変えている。初名を若松家正蔵。後に山崎正三を名乗る。 元は﹁しょうぞう﹂と読んでいたが、周りから﹁しょうざ﹂と読まれたので後に﹁しょうざ﹂と名乗る。しかし、最晩年は元の読み方﹁しょうぞう﹂としていた。 関西芸能親和協会副会長、1982年に人生幸朗の没後は会長。 洋服も多かったが、ワッハ上方には着物を着てあほだら経を演じる映像がある。 ●都家文路︵みやこやふみじ、1913年 - 没年不詳︶本名は山崎︵旧姓不明︶文子。立ち位置は向かって右。 ぼやき漫才の都家文雄・静代の門下[2]。色々コンビを変えている。 和服。エピソード[編集]
●正三は背中に未完成の花魁の刺青が彫られていた。これは10代のころに巡業先で博打をした際、博打に負けた相手が彫師で借金のかたで刺青を彫らされる。その後も借金をして払えなくなり刺青が増え始めたが、後に彫師の元を離れたため、結局未完成の刺青だけ残った。脚注[編集]
関連項目[編集]
- 荒川キヨシ・小唄志津子 - 同じくあほだら経で売った。
- 市川福治・かな江 - 上に同じ。
- 山崎正路・若松雪路(元浪漫トリオ) - 正三の弟子。
参考文献[編集]
- 「現代上方演芸人名鑑」(1980年、少年社)