岡田朝太郎
(岡田三面子から転送)
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岡田 朝太郎︵おかだ あさたろう、慶応4年5月29日︵1868年7月18日︶ - 昭和11年︵1936年︶11月13日︶は、日本の法学者。専門は刑法。弟子に穂積重遠[1]など。
号は三面子、虚心[2]。川柳の研究家としても知られ[2]、﹁岡田三面子﹂名義で﹃日本史伝川柳狂句﹄全27巻︵遺稿、古典文庫、1972年 - 1981年︶などの著作がある。
経歴[編集]
●1868年、大垣藩士・岡田平八の長男として生まれる[3]。 ●藩校蕃思学で学び、のち養成社から学費をうけ、東京に遊学する。 ●1891年 東京帝国大学法科大学仏法科を卒業 ●1893年 東京帝国大学法科大学と和仏法律学校に講師 ●1894年 東京帝国大学助教授 ●1897年 ドイツ、フランスに留学 ●1900年 帰朝、東京帝国大学教授となる ●1901年 法学博士の学位を受ける ●1906年 在官のまま、清国欽命修訂法律舘調査員兼法律学堂教員として招聘される ●1907年 慶應義塾大学部法律科教授︵刑法担当︶。 ●1915年 東京帝国大学教授を辞任 ●1936年11月13日 逝去︵享年69︶。墓所は多磨霊園。栄典[編集]
●1903年︵明治36年︶5月21日 - 金杯一組[4] ●1912年︵大正元年︶12月18日 - 勲三等瑞宝章[5] ●1915年︵大正4年︶10月20日 - 正四位[6]著書[編集]
●﹃日本刑法論﹄︵1894年、総則之部 訂正増補3版1895年、各論之部 訂正増補再版1895年︶ ●﹃刑法講義﹄︵1903年︶ ●﹃比較刑法﹄︵出版年不詳︶脚注[編集]
参考文献[編集]
- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 慶應義塾百年史.別巻,大学編