市川荒次郎 (2代目)
にだいめ いちかわ あらじろう 二代目 市川荒次郎 | |
二代目 市川荒次郎 | |
屋号 | 大黒屋 |
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定紋 | 蔦 |
生年月日 | 1889年10月15日 |
没年月日 | 1957年6月16日(67歳没) |
本名 | 中村 福藏 |
襲名歴 | 1. 二代目市川福藏 2. 二代目市川荒次郎 |
俳名 | 梅叶 |
出身地 | 東京府東京市 |
父 | 初代市川荒次郎 |
子 | 三代目市川荒次郎 |
当たり役 | |
『修善寺物語』の金窪兵衛 | |
二代目 市川 荒次郎︵にだいめ いちかわ あらじろう, 1889年︵明治22年︶10月15日 - 1957年︵昭和32年︶6月16日︶は歌舞伎役者。本名は中村 福蔵︵なかむら ふくぞう︶。屋号は大黒屋。定紋は蔦、替紋は蔦蝶々。俳名に梅叶。
人物[編集]
初代市川荒次郎の子。東京府東京市出身。1894年︵明治27年︶5月に東京明治座﹃甲州流武田幕張﹄︵甲州軍記︶で二代目市川福蔵を襲名して初舞台。1907年︵明治40年︶の明治座﹃極付幡随長兵衛﹄︵湯殿の長兵衛︶で二代目市川荒次郎を襲名。以後は従兄弟の二代目市川左團次の門に入り自由劇場に参加した。 また猿之助一座に加わり、1955年︵昭和30年︶に二代目市川猿之助ともに中華人民共和国で歌舞伎公演を行った。明快な口跡を持ち味に名脇役として舞台に出る。1957年︵昭和32年︶6月16日に心臓喘息のために逝去。67歳没。同年の﹃処女翫浮名横櫛﹄︵切られお富︶の赤間源左衛門を演じたのが最後の舞台となった。 長い顔でギョロ目、﹁南京豆﹂とあだ名された。左團次の新作に当たり役が多く﹃室町御所﹄の伊賀七郎、﹃今様薩摩歌﹄の奴事助、﹃尾上伊太八﹄の九助などがある。なかでも﹃修善寺物語﹄の金窪兵衛は生涯の当たり役となった。 子は三代目市川荒次郎。外部リンク[編集]
- 市川 荒次郎 (二代目) - 歌舞伎俳優名鑑 想い出の名優篇