後閑菊野
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後閑 菊野︵ごかん きくの、1866年11月15日︵慶応2年10月9日︶ - 1931年︵昭和6年︶6月21日︶[1]は、明治から昭和にかけての女性教育者。桜蔭女学校の初代校長。名はキクノとも表記[2]。
経歴[編集]
播磨国︵現・兵庫県︶出身。東京女子師範学校小学師範科、東京女子高等師範学校卒業。同校教師となり、国語・修身・作法などを担当する[1]。 1911年︵明治44年︶2月、東京女子高等師範学校教授となる[3]。 1918年︵大正7年︶4月、宮内省御用掛となり[4]、皇太子妃に内定した久邇宮良子女王の教育主任を務める。 1924年︵大正13年︶3月、東京女子高等師範学校の同窓会組織﹁桜蔭会﹂が設立した桜蔭女学校の初代校長となる[2]。著書[編集]
- 『家事提要』
脚注[編集]
参考文献[編集]
- “後閑菊野”. コトバンク. 2018年9月22日閲覧。