志多伯天将
志多伯 天将︵したはく てんしょう、1646年1月4日︵順治2年12月8日︶- 1725年1月29日︵雍正2年12月16日︶︶は、琉球王国の歴史家、官僚。正史﹃中山世譜﹄を編纂。志多伯家10世で蔡温の父。金城親雲上梁沢の子で後に志多伯家の養子になった。唐名を蔡 鐸︵さい たく︶という。童名 (琉球諸島・奄美群島)は思徳︵うみとく︶。
1677年︵康熙16年︶に尚貞王の命により、﹃歴代宝案﹄を修正し、さらに1697年からは﹃中山世鑑﹄の漢文訳・補訂し、﹃中山世譜﹄を完成させた。生存中、多く詩を残している。その一部が﹃中山詩文集﹄に収録されている。
蔡鐸は正室の真呉瑞との子・蔡温を嗣子にしようとしたが真呉瑞が反対し、側室の眞多満との子・蔡淵を嗣子としたといわれる。