成島稼堂
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成島 稼堂︵なるしま かどう、享和2年︵1802年︶ - 嘉永6年11月11日︵1853年12月11日︶︶は、江戸時代の儒学者。諱は良譲。字は倹卿。号は筑山・稼堂・秋榭。通称は桓吉、後に桓之助。
経歴[編集]
江戸幕府奥医師杉本宗春院の子に生まれ、成島東岳︵成島司直︶の養子となる。養父とともに幕府奥儒者を務め、﹃後鑑﹄の編纂や﹃御実紀﹄副本作成を行った他、﹃南山史﹄﹃列国譜﹄﹃堀河百首﹄︵和歌集︶などを著した。天保の改革の挫折後に父とともに一時失脚するが、﹃御実紀﹄副本作成などが評価されて、嘉永4年︵1851年︶に奥儒者に復している。父に先立って没し、子の成島柳北︵養子説もある︶が後を継いだ。墓所は雑司ヶ谷霊園。参考文献[編集]
- 山本武夫「成島筑山」(『国史大辞典 10』(吉川弘文館、1989年) ISBN 978-4-642-00510-4)