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明暹︵めいせん、康平2年︵1059年︶- 保安4年9月23日︵1123年10月14日︶︶は、平安時代中期から後期にかけての興福寺の僧。父は儒学者で大学頭藤原明衡。笛の名手として知られる。
三会已講師︵さんえのいこうし=宮中における御斎会・興福寺維摩会・薬師寺最勝会の三つの法会の講師をつとめた僧の階位︶の碩才といわれたが、舞楽に通じており多くの楽人がその教えを請うたという。大神家︵おおがけ︶の笛の系譜である﹁大家笛血脈﹂のその名を連ね、尾張国得業円憲から相承されたなどと伝えられている。