朝倉千筆
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経歴・人物
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仏文学者朝倉季雄の長女。桐朋女子高等学校を経て、1959年、津田塾大学学芸学部英文学科卒業。25歳の時、父の門人の中川信︵1930‐1991、仏文学者。東京大学文学部仏文科卒、お茶の水女子大学教授。法政大学参事・中川秀秋の子︶と結婚。32歳で二児の母となる。1972年にシナリオの勉強を始めて、1974年に﹃太陽にほえろ!﹄第109話﹁俺の血をとれ!﹂で脚本家デビュー︵小川英との共作︶。主にテレビドラマに力を入れ、﹃魔法使いサリー﹄などの脚本を担当。
1977年10月、中川と離婚。二人の子供を育てながら放送作家として活躍していたが、1979年1月14日、長男が千筆の母を殺害して投身自殺。この体験に基づき、朝倉和泉名義で﹃還らぬ息子 泉へ﹄︵中央公論社、1980年︶﹃死にたいあなたへ﹄︵中央公論社、1981年︶を上梓。長男の死後はドラマを諦め、アニメのシナリオライターに転じる。
1980年代には﹃スプーンおばさん﹄﹃とんがり帽子のメモル﹄﹃オヨネコぶーにゃん﹄﹃ガラスの仮面﹄﹃おねがい!サミアどん﹄[1]﹃メイプルタウン物語﹄﹃新メイプルタウン物語 パームタウン編﹄などの脚本を手がけていたが、1986年に日本語教師を兼ねるようになる。1991年、単身アメリカ合衆国ジョージア州コロンバスに渡り、コロンバス・ステート・コミュニティ・カレッジにて9ヶ月間カレッジインターンシップとして日本語を教える。1992年に日本へ帰国。この体験に基づき、﹃マイ・チャレンジ──女ひとり、アメリカへの旅立ち﹄︵中央公論社、1994年︶を刊行した。
脚注
[編集]- ^ “おねがい!サミアどん | 1980年代 | TMS作品一覧”. アニメーションの総合プロデュース会社 トムス・エンタテインメント. 2024年2月27日閲覧。
参考文献
[編集]- 朝倉千筆『マイ・チャレンジ──女ひとり、アメリカへの旅立ち』(中央公論社、1994年)