出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。 目安に適合することを証明するために、記事の主題についての信頼できる二次資料を求めています。なお、適合することが証明できない場合には、記事は統合されるか、リダイレクトに置き換えられるか、さもなくば削除される可能性があります。 出典検索?: "東昌邦匡志" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年9月) |
東昌邦 匡志︵とうしょうほう ただし、1965年3月25日 - ︶は、神奈川県横浜市中区出身で大鳴戸部屋に所属した元力士。本名は近藤 昌邦︵こんどう まさくに︶、現役時の身長182cm、体重129kg。最高位は東幕下5枚目︵1992年1月︶。
1980年春場所で初土俵、1983年名古屋場所では幕下に昇進した。若高鉄浩司等と切磋琢磨し稽古に励み幕下上位に定着して、ホープの一人に上げられたが、3連勝4連敗をするなど壁を破れなかった。兄弟子の若高鉄が維新力と四股名を改め関取になり、そして引退してからしばらく現役を続けたが、1993年夏場所を全休してその場所限りで引退。読み方は異なるものの四股名に本名の下の名を入れているのは、当時としては非常に稀であった。[1]
番付在位80場所の通算成績は290勝256敗7休
改名歴[編集]
●近藤 昌邦 1980年春場所~同年秋場所、1991年名古屋場所~1993年夏場所
●東昌邦 匡志 1980年九州場所~1986年夏場所、1987年名古屋場所~1991年夏場所
●高津山 昌邦 1986年名古屋場所~1987年夏場所
その他[編集]
1985年初場所13日目及び1992年初場所千秋楽で十両の土俵に上がり、前者は若筑波茂と、後者は芳昇幸司とそれぞれ対戦したが、いずれも黒星を喫した。[2][3]。
関連項目[編集]