桜津多子・桜山梅夫
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桜津多子・桜山梅夫︵さくらつたこ・さくらやまうめお︶は、大正・昭和期に活躍した日本の漫才師。
元々トリオや戎橋松竹では津多子は夫の都義雄︵旧名‥都陽志夫︶とコンビを組んだり、梅夫は玉子家源丸等と組んでいた、後に二人で組む。二人とも江州音頭の出身。津多子の音頭とりで鳴らした民謡。梅夫の櫓太鼓の曲弾き︵三味線で櫓太鼓の音を出す︶や、琴の曲弾き︵三味線を寝かせて弾き琴の音を出す︶、最後に聴かせる民謡など異色の音曲(民謡)漫才師。松竹系の劇場やトップホットシアター、道頓堀角座で津多子が病気で引退する1977年3月まで活躍した。
梅夫の櫓太鼓の曲弾きの最中、津多子は舞台をウロウロするのが恒例。
1973年上方お笑い大賞功労賞受賞。
弟子はいなかったが梅夫は自宅で三味線の師匠をしていた。