森寛子
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森寛子 | |
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続柄 | 岩倉具視第五女子 |
出生 |
1864年4月20日 |
死去 |
1943年11月2日(79歳没) 東京都 |
配偶者 | 有馬頼萬 |
森有礼 | |
父親 | 岩倉具視 |
森 寛子︵もり ひろこ、元治元年3月15日︵1864年4月20日︶ - 昭和18年︵1943年︶11月2日︶は、日本の華族。岩倉具視公爵五女。有馬頼萬伯爵夫人。森有礼子爵夫人。作家の有馬頼義、フランス文学者の森有正は孫。初名は恒子︵つねこ︶。
生涯[編集]
明治14年︵1881年︶旧久留米藩主家の伯爵有馬頼萬に嫁いだ。同16年︵1883年︶に長女・禎子を、翌17年︵1884年︶に長男・頼寧を産んだ。しかし、翌18年︵1885年︶2月、実家岩倉家に帰りそのまま離婚した。 明治19年︵1886年︶、当時文部大臣の森有礼と再婚し、先妻の常の残した二児の母となる。明︵有礼にとっては三男︶を産んだ。同22年︵1889年︶2月に有礼が暗殺され、有礼と共に過ごしたのはわずか1年7か月であった。 明治36年︵1904年︶日本基督教会富士見町教会で次男、三男と共に植村正久から受洗した[1]。 昭和18年︵1943年︶、80歳で死没。脚注[編集]
- ^ 『近代日本のキリスト者たち』201頁