植田尚樹
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植田 尚樹︵うえだ なおき、1961年10月17日 - ︶は兵庫県姫路市出身のギタリスト。
来歴[編集]
●1986年6月、株式会社ファンハウスよりバンド﹃XIE-XIE﹄︵シェーシェ︶でデビュー。1987年12月解散。 ●1991年5月、株式会社ファンハウスよりバンド﹃KOZIMA﹄でデビュー。1993年7月解散。 ●1994年よりフリーランスのミュージシャンとして活動。 ●1995年9月、東京での演奏活動を一時休止し、姫路でIESミュージックスクール開校。 ●1998年8月、音楽スタジオCUE建設。 ●2004年 ●4月、サウンドステーション︵音楽教室、レコーディングスタジオ、ライブハウスの総合ビジネス︶設立。 ●8月、アコースティック・ギター器楽曲デュオ﹃風楽﹄︵ふうらく︶のアルバムCDを発表し、演奏活動を再開。 ●2007年、器楽曲スリーピースバンド﹃健康Ⅲ樽﹄︵けんこうさんだる︶の1stアルバムを発表。 ●2009年10月、ソロギタリストとして旧友佐藤克彦ら﹃KOZIMA﹄のメンバーとの東京再会ライブを皮切りに現役復帰。 ●2013年 ●関将と共に、﹃十二処泉﹄︵じゅうにしょせん、ケントス出身のボーカル佐々木ゆかとのアコースティックユニット︶や﹃風楽﹄でツアーライブを行う。 ●Dr.Tommyのプロデュースによる、シンガーソングライターきいちろ︵日本のポピュラー音楽界初のコモンレーベルS&Lミュージック企画立案スーパーバイザー︶の1stCDアルバム﹁空高く天高く〜一歩ずつ一歩ずつ〜﹂の制作に、村松邦男らとともに参加[1]。 ●2014年7月、株式会社ゴールデン・ガッツィー より十二処泉・1stミニアルバム発表[2]。 ●2016年、"S&Lミュージック"に﹃十二処泉﹄として登録参加[3]。 ●2017年1月6日夜、腹部に強い痛みを覚える。一時的に痛みが治まったため、翌日掛かりつけ医で血液検査など行い、鎮痛剤を処方され帰宅。同年1月13日早朝に、前回の発作時よりも激しい痛みに襲われ、姉や知人らに付き添われて緊急入院。改めて検査を行い大動脈解離と診断される。開胸手術を行わず、HCU︵ハイケアユニット︶→一般病棟にて2週間、降圧剤を投与して解離の進行を防ぐ治療を行う。その後、1月26日にステントグラフト内挿術を受けた。同年2月1日に退院した。脚注[編集]
出典[編集]
外部リンク[編集]
- 植田尚樹のブログってる場合か?
- サウンドステーション
- 植田尚樹 (@UedaNaoki1017) - X(旧Twitter)
- 十二処泉
- 風楽 - ウェイバックマシン(2013年6月29日アーカイブ分)
- 健康Ⅲ樽 - ウェイバックマシン(2013年6月29日アーカイブ分)