楢林宗建
楢林 宗建︵ならばやし そうけん、1802年3月10日︿享和2年2月7日﹀ - 1852年11月17日︿嘉永5年10月6日﹀︶は、江戸時代末期の日本の蘭方医[1]。日本におけるジェンナー式種痘の普及に貢献した[1]。
生涯[編集]
1823年︵文政6年︶に兄の楢林栄建とともにフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトに師事した[2]。1827年︵文政10年︶佐賀藩医となる[2]。第10代佐賀藩主の鍋島直正の命を受け、1848年にオランダ商館医のオットー・モーニッケから種痘法を学び、翌1849年8月︵嘉永2年6月︶にモーニッケと協力して自身の子息を含む3名に対する牛痘接種に成功した[注 1][3][4]。 1898年︵明治31年︶、正五位を追贈された[5]。注[編集]
- ^ 1848年に行った種痘は善感しなかった。