楫取道明
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楫取 道明︵かとり みちあき、安政5年5月27日︵1858年7月7日︶ - 明治29年︵1896年︶1月1日︶は、日本の教育者。楫取素彦︵小田村伊之助︶と最初の妻・寿︵吉田松陰の妹︶との次男。台湾教育の祖。六氏先生の一人。
幼名は粂次郎︵くめじろう︶。幼少時に久坂玄瑞と文︵松陰と寿の妹︶夫婦の養子となり、玄瑞の死後に一時久坂家を継いだが、のち玄瑞の庶子の秀次郎が認知されて久坂家を継ぎ、粂次郎は生家に戻された。文はのちに美和子と改名し、寿の死後に楫取素彦と再婚した。
明治29年︵1896年︶1月1日、芝山巌事件で殺害された。同年1月13日、正五位を贈られた[1]。
家族・子孫[編集]
脚注[編集]
- ^ 『官報』第3761号、1896年1月15日