歌川国鶴 (2代目)
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二代目 歌川 国鶴︵うたがわ くにつる、嘉永5年︵1852年︶ - 大正8年︵1919年︶2月4日︶とは、明治時代から大正時代にかけての浮世絵師、画家。
来歴[編集]
歌川国鶴の長男。本姓は和田、名は官之助。一雄斎と号す。浅草花川戸に生まれ、父国鶴に絵を学ぶ。明治5年︵1872年︶には幻灯を、義兄にあたるイギリス人貿易商のニコラス・フィリップ・キングドン︵1829年 - 1903年︶から譲られ、幻灯絵を描いて巡回興行を行った。また初めて写真の背景画を描いた。明治5年︵1872年︶から明治8年頃にかけて、﹁横浜繁栄本町通時計台神奈川県全図﹂[1]などの横浜絵を版行している。明治10年︵1877年︶以後、横浜の父の絵草紙屋を継いだ。明治13年︵1880年︶に上京し、東京の中橋広小路で絵草紙屋をはじめた。次いで芝愛宕山下日蔭町に店を移し、自作の石版画などを商う。玄々堂のためにも働いている。石版画の技術は梅村翠山の彫刻会社でオットマン・スモリックに付いて学び、明治22年︵1889年︶、﹁北廓美人﹂などといった砂目石版の作品を残した。当時における進取的な絵師の一人であった。大阪にて没す、享年68。息子に六代目歌川豊国がいる。作品[編集]
- 「横浜商館並ニ弁天橋図 横浜ステーション蒸気入車之図並海岸洋船燈明台を眺望す」 大判錦絵3枚続 神奈川県立歴史博物館所蔵 ※丸屋鉄次郎版、1870年代
- 「横濱繁栄本町通時計台神奈川県全図」 大判錦絵3枚続 早稲田大学図書館所蔵 ※丸屋鉄次郎版、1870年代
- 「横浜ステーション花園乃図」 大判錦絵3枚続 神奈川県立歴史博物館所蔵 ※山城屋清八版、1875年
- 「幼稚園用切絵第一号」 大判錦絵 足立区立郷土博物館所蔵 ※1891年。以下同じ
- 「幼稚園用切絵第二号」
- 「幼稚園用切絵第三号」
- 「幼稚園用切絵第四号」
- 「幼稚園用切絵第八号」
- 「幼稚園用切絵第十号」
脚注[編集]
- ^ “横浜繁栄本町通時計台神奈川県全図”. 早稲田大学図書館. 2013年7月12日閲覧。