水島敏
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(水島敏照から転送)
水島 敏︵みずしま びん、旧芸名‥水島 びん→水島 敏照︵みずしま びんしょう︶、本名‥水島 敏雄︵みずしま としお︶、1951年4月30日 - ︶は、日本の漫談家、コメディアン、俳優。ボーイズバラエティ協会所属。愛媛県出身。
来歴[編集]
師匠はレオナルド熊。ストリップ劇場の渋谷道頓堀劇場出身。田端を根城にする熊や、ポール牧の下に自然発生的に集まった﹃田端グループ﹄︵マギー司郎、城後光義︵ゆーとぴあ・ホープ︶、たんごしん、はらみつお、高峰東天・愛天、ブッチー武者、青木イサム、石倉三郎、コント赤信号、コント山口君と竹田君、コントD51ら︶の一員。 1974年、兄弟弟子の城後、市井信彦︵ジミー。鳳らん太の実弟︶と﹁コント・スリーピース﹂を結成。﹃大正テレビ寄席﹄︵NETテレビ、現・テレビ朝日︶に出演したところを日本テレビプロデューサーの井原高忠に認められ、日劇ミュージックホールや赤坂コルドンブルーに招聘される。このほか﹃やじうま寄席﹄︵日本テレビ︶でもレギュラーを持っていた。 当時の当たりネタはのちに城後が引き継ぐ﹁もー、イヤッ!!﹂だが、ポーズはゆーとぴあのとは異なり左右に跳ねて倒れるといったものだった。城後がゴムを用いたネタを使用すると市井と共に反発し、城後を退ける形でトリオ解消。市井と﹁コント・ニューヨーカー﹂を結成するも解散。 1979年、轟二郎と﹁コント百連発﹂を結成。﹃ドバドバ大爆弾﹄︵東京12チャンネル、現・テレビ東京︶のアシスタントを務め、﹃お笑いスター誕生﹄にも挑戦。6週連続を勝ち抜き、銀賞を受賞するもコンビを解散。 1981年、ブッチー武者とコンビを組み直し﹁アッパー8﹂を結成。再度﹃お笑いスター誕生﹄に挑むも、6週連続勝ち抜きに終わる。ゴールデンルーキー賞も受賞。﹃オレたちひょうきん族﹄︵フジテレビ︶では﹁ひょうきん懺悔室﹂の出張版で、ブッチー扮する懺悔の神様とともに神父役で出演した。 ブッチーとのコンビも解消し、元ゆーとぴあのホープ劇団や、城後とコンビを再結成し﹁コントSOS﹂でストリップ劇場を中心に活動していたが、日本貴峰道協会の貴田晞照に出逢い入門。吉野大峰山で修験道の修行を行い、2003年小先達を頂く。水島敏照に改名して、神主漫談を開始。浅草東洋館を中心に漫談活動を行う。のち、水島敏に再改名して現在に至る。出演[編集]
テレビドラマ[編集]
外部リンク[編集]
- ボーイズバラエティ協会 水島敏
- プロフィール - オフィス樹木