池田仲誠
池田 仲誠︵いけだ なかのぶ、1882年︵明治15年︶10月27日[1] - 1972年︵昭和47年︶4月1日[1]︶は、旧因幡国鹿奴藩︵鳥取東館新田藩︶池田家第12代当主、華族。子爵。
経歴[編集]
池田源の三男として生まれる[1][2]。父の死去に伴い、1903年12月25日、子爵を襲爵した[3]。関東女学校弓術教師を務めた[2]。栄典[編集]
家系[編集]
- 父:池田源
- 妻:松平妙子(松平直方娘)
- 長女:良子(1908年 - 1994年、吉川義徳室)
- 次女:寿栄子(1911年 - 1975年、黒崎義平室)
- 長男:池田仲恵(1912年 - 1994年)
- 次男:池田仲明(1913年 - )
- 三男:池田仲親(1914年 - 2007年、13代当主)
- 三女:誠子(関義寿室)
- 四女:和子(1918年 - )
- 四男:池田仲貴(1922年 - )
- 五女:弘子(1923年 - 、谷口八郎室)
- 五男:関仲滋(関義寿養子)
脚注[編集]
日本の爵位 | ||
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先代 池田源 |
子爵 (鹿奴)池田家第2代 1903年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |