河野基比古
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河野 基比古︵こうの もとひこ、1932年11月26日 - 1991年8月11日︶は、日本の映画評論家
人物[編集]
文人[1]
河野房夫︵慶應義塾大学連合三田書道会︶、末高淑子夫妻の長男として、慶應義塾大学病院に生まれる。伯父に末高淑子の兄、商学博士の末高信がいる。
房夫、淑子、末高信の三人は房夫の父、河野振一郎が三井船舶の機関長を務めていた縁と、信の勉学のこともあり大正時代、ハネムーンも兼ねてワイマール共和国のライプツィヒに住み西洋世界を周遊した仲であった(このことから基比古は1990年統一ドイツ政府に招聘された)。
両親が基督教徒であることに由来し国文学者の笹川臨風に拠って命名された。1956年に早稲田大学第一文学部英文科を卒業し、渡米。学生時代に淀川長治が主催する映画友の会に在籍し、同級生に作家の生島治郎と小林信彦がいる。卒業後、日本コロムビア入社。ディレクターとして制作を手掛けた。
日本コロムビア退社後、パイオニアに転勤し、退社後フリーに転向。以前にも増して頻繁にハリウッドを中心に映画業界の取材を行うようになる。
執筆者として﹁キネマ旬報﹂、﹁スクリーン﹂︵近代映画社︶、日刊スポーツ映画評、サウンドトラックのライナーノーツを、他にはインタビュー、翻訳、ラジオでの映画解説などの活動を行う。
1982年3月から﹃木曜洋画劇場﹄︵テレビ東京系︶の解説者を5年10ヶ月に渡って担当する。
番組降板後には癌と闘病しながら目黒区教育委員会の委員を務めた。
ミュージック・ベンクラブ・ジャパン︵1966年、﹁音楽執筆者協議会﹂として発足︶会員。
1991年、腎不全のため昭和大学病院にて死去。58歳没。
主な出演番組[編集]
脚注[編集]
- Motohiko Kono
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