浮島徹士
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 静岡県 |
生年月日 | 1968年8月11日(55歳) |
身長 体重 |
179 cm 72 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1989年 ドラフト外 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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浮島 徹士︵うきしま てつし、1968年8月11日 - ︶は、静岡県出身の元プロ野球選手︵内野手︶。右投左打。
来歴・人物[編集]
静岡学園高から神奈川大学短期大学部に進学し、神奈川大学野球連盟に加盟している神奈川大学硬式野球部でプレー。2年次の1988年の秋季リーグでは、打率.420をマークし首位打者、ベストナイン三塁手を獲得した。 短大卒業後、ロッテオリオンズに球団職員扱いとして籍を置き、1989年オフにドラフト外で入団した。 一軍公式戦への出場が無いまま、1993年限りで現役を引退した。 1994年に出版された小林至の著書﹁ボクの落第野球人生﹂ によると、1993年5月まではイースタンリーグのベストテン入りするほどの打撃だったが、夏場に入って右肘を故障したという。スローイングもままならない状態にもかかわらず、首脳陣からは﹁代わりがいないから出ろ﹂と言われ、シーズン終了後の黒潮リーグまで試合に出続けたため悪化。秋季練習に入ってからトレーナーから報告を受けた首脳陣から﹁手術するように﹂と指示を受けたにもかかわらず、数日後に球団フロントから﹁二軍選手の手術代︵11万円︶を球団が負担した例はないから﹂という理由から解雇通告を受けたとのことである。後日、浮島は選手会に訴え出たが、選手会という組織は正式な労働組合ではないからか、結局﹁協約違反にはならないから…﹂と言葉をにごし、有耶無耶にしたという。詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
- 一軍公式戦出場なし
背番号[編集]
- 61 (1990年 - 1993年)
脚注[編集]
- ^ プロ野球在籍者名簿 う-NPB日本野球機構、2020年4月5日閲覧。