清風亭
清風亭︵せいふうてい︶は、幕末に長崎に存在した料亭。坂本龍馬、土佐藩参政・後藤象二郎が会談したことで知られている。
清風亭会談[編集]
慶応3年︵1867年︶1月13日に土佐藩士・溝渕広之丞と松井周助の斡旋により、坂本龍馬と後藤象二郎が会談。土佐藩は龍馬らの脱藩を赦免し、亀山社中を土佐藩の外郭団体的な組織とすることが決まり、これを機として4月上旬頃に亀山社中は﹁海援隊﹂と改称した。この会談には、後藤象二郎の計らいで、長崎の芸妓・お元も同席していたといわれている。場所[編集]
長い間、正確な場所は不明だったが、大光寺︵鍛冶屋町︶の過去帳や明治初期の榎津町の地図などから、平成21年︵2009年︶に場所︵旧榎津町65番地、現在の長崎県長崎市万屋町5番11号一帯︶が特定された︵﹃清風亭跡 板碑より抜粋﹄︶[1]。脚注[編集]
- ^ “長崎龍馬の道--19 清風亭跡”. 長崎龍馬だより. 2022年1月21日閲覧。