出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
甕依姫︵みかよりひめ、生没年不詳︶は、﹃筑後国風土記﹄逸文にみえる古代日本の巫女。
筑後国風土記
昔 此堺上 有鹿猛神 往来之人 半生半死 其数極多 因曰人命尽神 干時 筑紫君肥君等占之 令筑紫君等之祖甕依姫 為祝祭之 自爾以降 行路之人 不被神害 是以曰筑紫神
昔、こ︵筑前・筑後︶の国境に荒ぶる神がいて、通行人の半分は生き半分は死んでいた。その数は極めて多かった。そこで﹁人の命尽の神﹂︵ひとのいのちつくしのかみ︶と言った。筑紫君、肥君らの占いによって、筑紫君等の先祖である甕依姫を祭司としてまつらせたところ、これより以降は通行人に神の被害がなくなったという。これを持って﹁筑紫神﹂と言う。
甕依姫について、九州王朝説を唱えた古田武彦は﹃魏志倭人伝﹄にいうとこの卑弥呼のことであるとしている。
関連項目[編集]