石割松太郎
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石割 松太郎︵いしわり まつたろう、1881年1月24日 - 1936年6月29日︶は、演劇および演芸研究家・評論家。ジャーナリスト。
生涯[編集]
大阪府堺出身︵生家跡は堺市立青少年センターになっており、碑が建立されている︶。 1905年早稲田大学文学部卒業。国書刊行会、日本新聞、都新聞、帝国新聞、大阪新報各社を経て1917年大阪毎日新聞社に入り、劇評を担当した。 1922年、﹃サンデー毎日﹄の発刊に参加したが、白井喬二の﹃新撰組﹄を同紙に掲載する際、初めて﹁大衆文芸﹂と銘打った人物とされる[1]。 1929年大毎を退社、1932年に早大講師となり、浄瑠璃・江戸文芸を教えた。 主として人形浄瑠璃の歴史について著作がある[2]。著書[編集]
- 『人形芝居雑話』春陽堂 1930
- 『人形芝居の研究』更生閣 1933
- 『近世演劇雑考』岡倉書房 1934
- 『祥瑞の研究』宝雲舎 1934
- 『人形芝居の研究 石割松太郎選集』修文館 1943
- 『文楽雑話 石割松太郎選集』修文館 1944
- 『随筆世話もの談義』盛田嘉徳編 誠光社 1948
- 『文楽の芸術』早川書房 悲劇喜劇選書 1949
- 共著