石原留吉
石原 留吉︵いしはら とめきち、1875年︵明治8年︶2月 - 1940年︵昭和15年︶12月8日[1]︶は、高松市長。
経歴[編集]
香川県木田郡西植田村︵現在の高松市︶出身。井口秀八の二男として生まれ、石原キクの養子となった[2]。1896年︵明治29年︶、東京法学院︵現在の中央大学︶を卒業し、1904年︵明治37年︶に高等文官試験に合格した。岐阜県知事官房主事[3]、千葉県君津郡長[4]、岡山県内務部第三課長[5]を歴任。 1909年︵明治42年︶に韓国政府応聘者となり[6]、韓国併合後は京城府書記[7]、慶尚南道事務官[8]、京城府事務官[9]、新義州府尹[10]、元山府尹[11]を歴任した。 退官後の1924年︵大正13年︶から高松市長を務めた。著書[編集]
- 『京城案内』(京城協賛会、1915年)