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稲荷神社︵いなりじんじゃ︶は、岡山県倉敷市茶屋町に鎮座する神社。茶屋町稲荷神社︵ちゃやまちいなりじんじゃ︶とも表記される。
●宇迦之御魂神
●須佐之男命
●神大市比賣命
もともと、倉敷市茶屋町一帯は完全に海域で﹁吉備の穴海﹂と呼ばれており、近世に徐々に干拓されていき陸地化した。宝永4︵1707︶年、一連の干拓が完成すると﹁境川﹂と呼ばれる川より北側を早島沖新田村︵早沖︶、南側を帯江沖新田村︵帯沖︶とした。
帯江沖新田村の開村後、氏神勧請の議論が起きた際、領主戸川公より現在の神社鎮座地が寄進された。この土地の四方に堀を掘り、その際の土を使い土地の地上げを行った。そこから、寄進地を南北に二分し、北側二反を境内地、南側三反を神饌田とした。その氏神には、早島村城山正一位稲荷大明神の御分霊が勧請された。[1]
享保18︵1733︶年に本殿が完成した。造営の際は、村内在住の大工のみでは人手が足らず、当時有名であった塩飽︵下津井沖の塩飽の本島︶から大工を招いた。本殿造営の翌年である享保19︵1734︶年6月、京都の伏見稲荷神社の御分霊を勧請した。神社では、これを以て稲荷神社鎮座の年としている。その後の安永3︵1774︶年、本殿を境内東南に移築し、旧本殿跡地に再び本殿を造営した。[1]
江戸時代は法輪寺の僧職管理下にあったが、明治5︵1872︶年の﹁神仏分離令﹂に伴い、社名を現社名である﹁稲荷神社﹂に改称し、御祭神を三柱︵宇迦之御魂神・須佐之男命・神大市比賣命︶とした。その際、正一位稲荷大明神の御神体は町内の金毘羅大権現に遷された。大正3年9月24日には神饌幣帛料供進神社に指定された。[2]
- ^ a b 『茶屋町史』(改訂版茶屋町史刊行委員会)
- ^ 『岡山県神社誌』(岡山県神社庁)214頁