筬島桂太郎
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筬島 桂太郎︵おさじま けいたろう、1870年9月1日︿明治3年8月6日[1][2]﹀ - 没年不明[2]︶は、明治から大正時代の政治家。長崎県佐世保市長。
経歴[編集]
福岡県に生まれる[1]。筬島卯助の長男[3]。明治法律学校を卒業後、福岡県属となり、岩手県、北海道庁、愛媛県を経て、1902年︵明治35年︶佐世保市の市制施行とともに同市助役となった[1]。その後、愛媛県上浮穴郡長、大阪電灯会社庶務課長、同佐世保支店長、佐世保軽便鉄道株式会社専務取締役を歴任し、1921年︵大正10年︶8月、佐世保市長に就任した[1]。 市長在任中は、軍港の影響で拡大する市勢に対処するため三課制から六課制とし、教育、社会事業、社会勧業に力を注ぐ体制を整えたほか、市街地整備、都市計画、市立長田病院の移転、市営火葬場の建設、山ノ田浄水池など水源地の増設、佐世保商業専修学校、佐世保実修女学校の新設、夜間中学校を設置するなど尽力した[1]。 のち、五島電燈取締役を歴任した[3]。親族[編集]
脚注[編集]
- ^ a b c d e 歴代知事編纂会 1983, 563頁.
- ^ a b 日外アソシエーツ 2022, 410頁.
- ^ a b 人事興信所 1939, オ265頁.
- ^ 人事興信所 1969, た196頁.