純粋経験
純粋経験︵じゅんすいけいけん︶とは哲学用語のひとつで、﹁反省を含まず主観・客観が区別される以前の直接経験﹂を指す用語[1]。
ウィリアム・ジェームズ、アンリ・ベルグソンの近代西洋哲学、禅などの東洋古典思想、近代日本では西田幾多郎がジェームズおよび既存の禅仏教の影響下と[2]、自身の参禅体験に基づいて﹃善の研究﹄︵1911年︶[3]で純粋経験を主張した[4]。﹃善の研究﹄は当初は﹁純粋経験と実在﹂という題名で構想されていたが、版元の弘道館が反対し、この題となった[要出典]。
西田の﹃善の研究﹄は、旧制高校など青年知識層に衝撃的な影響を与えた[2]。
脚注[編集]
(一)^ デジタル大辞泉. “純粋経験 ジュンスイケイケン”. コトバンク. 2017年11月3日閲覧。
(二)^ ab日本大百科全書(ニッポニカ). “純粋経験 ジュンスイケイケン”. コトバンク. 2017年11月3日閲覧。
(三)^ 世界大百科事典 第2版. “世界大百科事典内の純粋経験の言及”. コトバンク. 2017年11月3日閲覧。
(四)^ 大辞林 第三版. “純粋経験 ジュンスイケイケン”. コトバンク. 2017年11月3日閲覧。