出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
紫藤 南天︵しとうなんてん、生没年不詳︶は日本の漫画家。明治から大正にかけて風刺漫画を多く手掛けた。
生年不詳。18歳か19歳の頃に漫画を描き始め、その作品が北澤楽天に認められる。以降、楽天門下の漫画家として政治漫画・風刺漫画を手掛け、明治末期から大正中期に﹃時事新報﹄﹃東京パック﹄などで活躍した。特に1912年︵大正元年︶の時事新報紙面には、ほぼ毎号、紙面のスペースを大きくとって紫藤の漫画が掲載された。﹁NAN﹂という署名を用いた。
1923年には第八回漫画展︵東京漫画会︶に﹁クヰーンの朝﹂と題する裸足で階段を掃除する女給の漫画を出展しており、岡本一平などの作品と共に﹁階級意識や社會意識を取り扱つたのなぞ注目に價する﹂と評されている。
その後、紫藤は子供漫画に活動の場を移す。1948年︵昭和23年︶には三心社から﹃怪星探検﹄、﹃謎の怪盗﹄という漫画を出版していることが記録されている[6]。
-
「不得要領のフィルム追ふて居るのか追はれて居るのか」(1912年)。
第二次バルカン戦争を題材とした風刺漫画。
-
「剣が折れるか門が倒れるか」(1912年)。
増師問題についての風刺漫画。
参考文献[編集]
ウィキメディア・コモンズには、
紫藤南天に関連するカテゴリがあります。