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細川 晴之︵ほそかわ はるゆき︶は、戦国時代の人物。細川京兆家当主・細川晴元の次男か。細川昭元の弟にあたるとされる。
具体的な生誕年は不明。兄・昭元の生まれた天文17年︵1548年︶以降に生まれたものとされる。
天文21年︵1552年︶、父・晴元が三好長慶と一時的に和睦すると兄・昭元と人質となり、父が再び長慶と敵対すると軟禁されて長慶の監視下に置かれた。そして長慶のもとで元服し、父・晴元の1字を受けて晴之と名乗ったとされる。
永禄4年︵1561年︶3月18日、実家の三好氏を支え、﹁鬼十河﹂と恐れられていた長慶の実弟・十河一存が死去。これを機に晴之は7月下旬、六角義賢や畠山高政に擁立され、将軍・足利義輝の命も受けて、近江国にて兵を挙げた。
11月24日、将軍地蔵山の戦いが勃発し、この戦いは最終的には六角・畠山方の勝利に終わるが、晴之は勝利を迎える前に戦死したという。
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