経学院
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a6/Kyeonghakwon.jpg/300px-Kyeonghakwon.jpg)
経学院︵けいがくいん︶は、大韓帝国と日本統治時代の朝鮮に置かれた儒教研究機関。旧朝鮮時代の成均館の後身である。
概要[編集]
前身の成均館は、朝鮮時代の最高教育機関だった。経学院は1887年に成均館に附属する形で発足し[1]、韓国併合後の1911年︵明治44年︶に朝鮮総督府によって儒教研究機関として改組され、﹁経学院規程﹂︵政令第74号︶を公布した[2]。明治天皇からの恩賜金25万円を基金とし、基金の利子と総督府の補助金によって運営された。 主な事業は、施設内の文廟︵孔子廟︶において釈奠︵儒教の祭祀︶を挙行したり、儒教講演会の開催や学術雑誌の発行である。また1930年︵昭和5年︶には、教育機関として﹁明倫学院﹂が附置された[3]。 1945年の朝鮮独立︵光復︶後は、経学院は元の﹁成均館﹂に復し、現在は総合大学の成均館大学校になっている。職員・講士[編集]
- 大提学
- 副提学
- 祭酒
- 司成
- 直員
- 講士
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 馬越徹「韓国近代大学の成立と展開」 名古屋大学出版会 1995