長谷川テル

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長谷川テル
長谷川テルと劉仁

  191237 - 1947114[1]

[]


   Verda Majo 

19291932 退

19331934NHK1935(La Mondo)1936

19375019381941 (Flustr el uragano )1945 (En Ĉinio Batalanta)1946

1947114[1][]422

610801199655[2]1993

1980TBS[2]

テルの思想[編集]

  • 日本のファシストを憎み、日本兵もまた、ファシストの犠牲者だと思っていた。(『戦う中国で』)
  • 中国の勝利は中国民族だけでなく、日本を含めた極東の全被圧迫民の解放を意味すると考えていた。(『あらしの中からささやく声』)
  • エスペラントを国際的な武器と信じ、エスペランティストを平和の前衛と信じ、エスペラントを使って反ファシズム国際統一戦線を樹立したいと願っていた。(『あらしの中からささやく声』)

著書[編集]

  • 宮本正男編 『長谷川テル作品集』(1979年に出版、エスペラント著作の日本語訳を収める)
  • Verkoj de Verda Majo (中国で1982年に出版されたエスペラントの著作集)

脚注[編集]

  1. ^ a b 長谷川テル デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  2. ^ a b エスペラントの長谷川テルさんの遺児 劉さん日本留学 「科学を学び日中友好」朝日新聞 1985年1月21日 夕刊10ページ

参考文献[編集]

  • 宮本正男編 『日本平和論体系 第17巻』
  • 高杉一郎著 『中国の緑の星 長谷川テル 反戦の生涯』 朝日新聞社、1980年
  • 「長谷川テル」編集委員会編  『長谷川テル―日中戦争下で反戦放送をした日本女性』 ISBN 488416167X