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物部 胆咋 ︵もののべ の いくい、生没年不詳︶は﹃日本書紀﹄等に伝わる古墳時代の豪族。﹃古事記﹄に記載はない。
﹁物部﹂の﹁もの﹂とは、﹁武士﹂︵もののふ︶から来ているという説のほかに、神秘的なもの、精霊などの魂︵もの︶を示している、という説がある。
﹃先代旧事本紀﹄﹁天孫本紀﹂に、物部十千根大連の子として﹁胆咋宿禰﹂があり、成務天皇の時に大臣になり、石上神宮に仕えた、とある。また同時代に胆咋宿禰が三川穂国造の美己止直︵みことのあたい︶妹伊佐姫︵いさひめ︶を娶ったという。
﹃日本書紀﹄巻第八によると、仲哀天皇の崩御に際し、皇后の気長足姫尊︵おきながたらしひめのみこと、後の神功皇后︶と大臣の武内宿禰は天皇の喪を秘匿した。その上で、皇后は、中臣烏賊津連︵なかとみ の いかつ の むらじ︶・大三輪大友主君︵おおみわ の おおともぬし の きみ︶・物部胆咋連・大伴武以連︵おおとも の たけもつ の むらじ︶にも、﹁天皇がなくなったことを百姓︵=人民︶に知らせてはならない﹂と告げ、
則︵すなは︶ち四︵よたり︶の大夫︵まへつきみ︶に命︵みことおほ︶せて、百寮︵つかさつかさ︶を領︵ひき︶ゐて、宮中︵みやのうち︶を守︵まも︶らしむ。[2]
この年、新羅の役のため、天皇を埋葬することができなかったという。
﹁天孫本紀﹂によると[1]、父は十千根命、母は武諸隅連の娘である時姫とされる。
市師宿禰の祖・穴太足尼の娘である比咩古命、阿努建部君の祖・太玉の娘である鴨姫、三川穂国造・美己止直の妹である伊佐姫、宇太笠間連の祖・大幹命の娘である止己呂姫を妻とし、五十琴宿禰、景行天皇妃の五十琴姫命、五十琴連、奄智蘰連の祖・竺志連、藤原恒見君、長田川合君、三川蘰連等の祖・竹古連、比尼蘰連、城蘰連の祖・椋垣連を生んでいる。また娘の清姫が武諸隅連の妻になったという。
参考文献[編集]
関連項目[編集]