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﹃菜根譚﹄︵さいこんたん︶は、洪自誠︵洪応明、還初道人︶による随筆集で中国古典の一つ。前集222条、後集135条からなる中国明代末期のものであり、主として前集は人の交わりを説き、後集では自然と閑居の楽しみを説いた書物である[1]。別名﹁処世修養篇﹂︵孫鏘︵そん しょう︶の説︶。
書名は宋の汪信民︵中国語版︶﹁人咬能得菜根、則百事可做︵人能く菜根を咬みえば、則ち百事なすべし︶﹂に依拠する[2]。菜根は堅くて筋が多いので、これをよく咬みうるのは、ものの真の味わいを味わいうる人物であるということを意味する[2]。
﹃菜根譚﹄の版本は、洪自誠を著者とする﹁洪自誠本﹂と、洪応命を著者とする﹁洪応命本﹂の二系統がある[2]。日本で流布したのは洪自誠本である[2]。
著者の洪自誠の来歴は不明である[2]。日本に﹃菜根譚﹄をもたらした林蓀坡も、明代末期に引退して道を楽しんだ人物と述べるに留まる[2]。一方、亀谷省軒は﹁洪応明、自誠は、還初道人と号す。明の万暦中の人なり﹂と説いた[2]。
内容は明末に盛んであった清言である[2]。前集222条、後集135条の計357条から成る[2]。前集は世間や人と交わる道を説き、後集は山林自然の趣きや退隠閑居の楽しみを説く[2]。思想的基盤は儒教・道教・仏教を交えた三教合一の思想である[2]。
明治時代以降も、清言の書として人々に愛読された[2]。処世訓の最高傑作の1つとして、田中角栄、吉川英治、川上哲治、野村克也も愛読した[1][3]。
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