西島麦南
西島 麦南︵にしじま ばくなん、1895年1月10日 - 1981年10月11日︶は、熊本県出身の俳人、校正者。本名・西島九州男︵にしじま くすお︶。
生涯[編集]
熊本県鹿本郡植木町︵現・熊本市北区植木町︶生まれ。済々黌卒業[1]。1915年、雑誌﹁雲母﹂の前身﹁キラヽ﹂に参加。1916年、上京し、出版社の警眼社に入社。1918年、武者小路実篤の﹁新しき村﹂に参加し、3年ほど農耕に従事。1922年12月、上京し、大鐙閣などを経て、1924年、岩波書店に入社する。戦後は校正課の初代課長を務め、55歳の停年後も特別嘱託として勤務し、1970年に75歳で退職するまで校正実務を担当し、﹁校正の神様﹂とたたえられた。 俳句は飯田蛇笏に師事。俳壇的成功には無欲で、自ら﹁生涯山廬門弟子﹂と称し、蛇笏の没後も飯田龍太を助け﹁雲母﹂一筋の俳人として活動。蛇笏の好みを受け継ぎ格の高い句を作った。 1965年第4回文化人間賞︵東京作家クラブ主催︶受賞。句集に﹃金剛纂﹄﹃人音﹄﹃西島麦南全句集﹄がある。著書[編集]
- 『金剛纂』(三省堂、1940年)
- 『人音』(甲鳥書林、1941年)
- 『校正技術』(日本エディタースクール、1972年、監修)
- 『校正夜話』(日本エディタースクール、1982年)
- 『西島麦南全句集』(西島麦南全句集刊行会、1983年)
出典[編集]
参考文献[編集]
- 『現代俳句大事典』 三省堂 2005年
- コトバンク 2015年3月閲。
- 『校正夜話』(編集後記に略歴、主要な仕事などが記載されている)