誠嬪
誠嬪︵せいひん、? - 乾隆49年4月11日︵1784年5月29日︶︶は、清の乾隆帝の側室。姓は鈕祜禄(ニ゙オフル)氏。満州鑲黄旗の出身。父は二等侍衛兼佐領穆克登。高祖父は康熙帝時代の大臣エビルン。また、同じく乾隆帝の妃嬪である順貴人もエビルンの曾孫であり、遠縁にあたる。
生涯[編集]
乾隆22年︵1757年︶、蘭貴人に封じられる。 乾隆33年︵1768年︶、蘭常在に降格される。 乾隆41年︵1776年︶、誠嬪に晋封されるが、乾隆42年︵1777年︶、乾隆帝の母である皇太后︵誠嬪と同じ鈕祜禄氏の出身︶が崩御した影響で、誠嬪への冊封の儀式は執り行われなかった。 乾隆44年︵1779年︶、誠嬪への正式な冊封の儀式が行われた。 乾隆49年4月11日︵1784年5月29日︶、巡幸から帰る途中の船上で、船の傍らの竿池で涼んでいたところ、足を踏み外して水に落ち、溺死した。遺体は水路で通州に運ばれ、一時安置のため静安村に送られた。 清東陵の妃園寝に陪葬された。伝記資料[編集]
- 『清史稿』