谷真潮
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谷 真潮︵たに ましお、1727年︵享保12年︶[1]/1729年︵享保14年︶- 1797年12月5日︵寛政9年10月18日︶︶は、江戸時代中期の国学者である[1][2]。幼名は挙準、字は丹内等がある[1][2]。号は北渓[1][2]。
経歴・人物[編集]
土佐藩士の谷秦山の孫[1][2]、谷垣守の長男︵秦山の子︶として生まれる[2]。若くして稲垣長諷の門人となり和歌を学ぶ[2]。後に江戸に入り賀茂真淵から和歌や国学を学び[1][2]、祖父から続く3代神道の学派から[3]、真淵の影響を受けて独自の学説を開いた[2]。 天明の頃に藩の改革に関与し、藩主だった山内豊雍から大目付の役職に採用された[2]。後に郡奉行や普請奉行も歴任し[2][3]、辞職後は土佐藩の学問の興隆に貢献した[3]。主な著作物[編集]
- 『神道本論』
- 『北渓集』- 漢文集。