賀代姫
賀代姫︵かよひめ、嘉永元年︵1848年︶ - 慶応元年︵1865年︶6月︶は、阿波徳島藩第13代藩主・蜂須賀斉裕の長女。越前福井藩第17代藩主・松平茂昭の正室︵入輿なし︶。
生涯[編集]
嘉永元年︵1848年︶、徳島藩第13代藩主・蜂須賀斉裕と正室・鷹司標子︵関白・鷹司政通の娘︶の長女として 江戸の徳島藩邸で生まれる。斉裕の側室・山村氏を母とする説もある[1]。兄弟には蜂須賀茂韶、倫子︵鷹司輔政正室、実父は蜂須賀隆芳︶がいる。 その後、福井藩第17代藩主・松平茂昭と婚約したが、結婚する前の慶応元年︵1865年︶に労咳のため没する。享年18。賀代姫の治療には徳島藩の典医である関寛斎が診ていた[2]。また、賀代姫が亡くなった後、茂昭は久我建通の娘・ 幸子を継室に迎えている。墓所は徳島県徳島市下助任町にある興源寺。脚注[編集]
- ^ 興源寺説明書きでは側室山村(山本)珠を母と記述している。
- ^ 維新の蘭学医 関寛斎からのメッセージ 梅村さとし
参考文献[編集]
- 『蜂須賀家記』