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足利夫人︵あしかがふじん、生没年不明︶は、安土桃山時代の女性。織田信長の娘とも、元側室ともされる。室町幕府の第15代将軍・足利義昭の側室か妾[1]。
彼女は織田信長秘蔵の﹁虎福女﹂と伝わっているが、経歴や信長との関係は判然としていない。信長の娘とも、元側室ともされる。信長の死後、信長の家族は豊臣秀吉に庇護されていたので、彼女も庇護されていたものと推測される。義昭は信長に京都を追放され、信長没後に秀吉に庇護されていた。彼女は秀吉の命令で天正19年︵1591年︶4月26日、剃髪して昌山と号していた義昭に嫁いでいる[2]。
(一)^ 岡田正人﹃織田信長総合事典﹄雄山閣、1999年、180頁。
(二)^ ﹃多聞院日記﹄においては﹁大門一昨日ヨリ小︵大︶坂ヘ御越、去月廿六日商︵昌︶山様ヘ関白ヨリ祝言在之、信長ノヒサウノ虎福女也ト、依之為御礼御越輿﹂とある。現代語訳すると﹁大門︵大乗院門跡︶の義尋が一昨日より大坂へ出向いた。去る4月26日に父親の昌山︵足利義昭︶の下へ関白・豊臣秀吉から輿入れが行なわれた。信長秘蔵の虎福女であるという。義尋はそのお祝いのために大坂へ出向いた﹂︵多聞院日記、天正19年5月11日条︶。