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﹃重訂解体新書﹄︵ちょうていかいたいしんしょ または じゅうていかいたいしんしょ︶は、杉田玄白らが出した解剖学書﹃解体新書﹄を大槻玄沢が訳し直した書。寛政10年︵1798年︶の作。刊行は文政9年︵1826年︶。文章13冊と図版1冊よりなる。
オランダ語の解剖学書﹃ターヘル・アナトミア﹄からの邦訳書である﹃解体新書﹄は、日本の医学史上画期的な本であった。だが、初めての西洋語からの翻訳という性質上、誤訳も多かった。
その後蘭学が発展し、蘭語︵オランダ語︶研究が進んだこともあって、杉田玄白は高弟の大槻玄沢に﹃解体新書﹄を訳し直すように命じる。
実際には、大槻玄沢を中心とする多数の蘭学者が関わったのであろう。﹃重訂解体新書﹄図版の表紙には﹁天真楼翻刻﹂﹁芝蘭堂再鐫﹂とある。﹁翻刻﹂も﹁再鐫︵さいせん︶﹂も﹁ふたたび彫る﹂という意味であり、天真楼、芝蘭堂はそれぞれ杉田玄白、大槻玄沢が開いた蘭学塾である。玄白の流れを汲む二大塾が協力して作業したことがわかる。
寛政10年︵1798年︶にいちおうの稿は出来たが、刊行は大幅に遅れ、文政9年︵1826年︶となった。﹁付録﹂などの部分はその間に執筆されている。刊行時、杉田玄白は既に亡く、大槻玄沢はその翌年没している。
﹃重訂解体新書﹄は文章13冊と銅版画による図版1冊よりなる。
●︵1︶序、旧序、附言、凡例
●︵2︶~︵5︶巻の一~巻の四。旧版﹃解体新書﹄の本文に対応する。
●︵6︶~︵11︶巻の五~巻の十。名義解。用語を解説したもの。﹃ターヘル・アナトミア﹄の注釈の一部や、他の西洋解剖書からの注釈もまとめられている。
●︵12︶巻の十一。付録︵上︶。和漢の学説を大槻玄沢がまとめたもの。
●︵13︶巻の十二。付録︵下︶。大槻玄沢による解剖学雑録。
総じて旧﹃解体新書﹄より字がきれいである。
図版は京都の中伊三郎による銅版画。木版で刷られた旧﹃解体新書﹄と比べてはるかに鮮明になっている。なお、﹃解体新書﹄の図版表紙は、﹃ワルエルダ解剖書﹄の扉絵をもとに描かれたものだったが、﹃重訂解体新書﹄の図版扉絵は﹃ターヘル・アナトミア﹄の扉絵をもとに描かれている。
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