青木鷺水
青木 鷺水︵あおき ろすい、万治元年︵1658年︶ - 享保18年3月26日︵1733年5月9日︶︶は、江戸時代の俳人・浮世草子作者。通称は次右衛門、別名に若松梅之助。別号は白梅園・梅園散人・歌仙堂・三省軒。
生涯[編集]
曾祖は板垣左京進入道、その嫡女は山田久子、その娘徳子が鷺水の母親にあたる[1]。 京都御幸町通二条上ル町に住し、俳諧点者として﹃俳諧京羽二重﹄︵林鴻編・元禄4年︵1691年︶刊︶に名を連ねる[2]。同年11月、俳諧撰集﹃こんなこと﹄を上梓し、﹃春の物﹄︵元禄5年︵1692年︶︶﹃手ならひ﹄︵元禄9年︵1696年︶︶雑俳﹃若えびす﹄︵元禄15年︵1702年︶︶を出版する[2]。この他、﹃俳林良材集﹄︵元禄8年︵1695年︶︶﹃俳諧大成新式﹄︵元禄11年︵1698年︶︶といった俳諧作法書の編集を手がける[2]。また、﹃万葉仮名遣﹄︵元禄11年︵1698年︶︶﹃三才全書俳林節用集﹄︵元禄13年︵1700年︶︶﹃和漢故事要言﹄︵宝永2年︵1705年︶︶といった字書類の編者でもあった[1][2]。 元禄13年︵1700年︶、歌舞伎役者・初代中村七三郎の芸を賛美した漢詩文集風の役者評判記﹃十能都鳥狂詩﹄を若松梅之助の名前で上梓[1]。これ以降、俳諧活動から退き、浮世草子を中心とした執筆活動に転向する。宝永3年︵1706年︶から宝永6年︵1709年︶にかけて、﹃御伽百物語﹄﹃諸国因果物語﹄﹃新玉櫛笥﹄の怪談三部作を出版し、曾我物狂言を中心に描いた﹃吉日鎧曾我﹄︵宝永7年︵1710年︶︶、赤穂浪士事件を扱った﹃高名太平記﹄︵刊年未詳︶など、多彩な作品を世に出した[1][2]。 享保18年︵1733年︶3月26日没。享年76歳。墓所は西光寺とされている[1]。評価[編集]
﹃貞徳永代記﹄﹃花見車﹄といった俳諧関連の書籍には、俳諧以外の活動に関わっていることを揶揄される記述が見られ、同時代の俳壇から辛辣な評価を受けていた[1]。その一方で、生川春明﹃俳家大系図﹄では、知識の豊かさと作品の面白さを高く評価されている[1]。作品[編集]
俳諧関連 ●﹃俳諧京羽二重﹄︵林鴻編・元禄4年︵1691年︶刊︶ ●﹃こんなこと﹄ ●﹃春の物﹄︵元禄5年︵1692年︶︶ ●﹃手ならひ﹄︵元禄9年︵1696年︶︶ ●﹃若えびす﹄︵元禄15年︵1702年︶︶ ●﹃俳林良材集﹄︵元禄8年︵1695年︶︶ ●﹃俳諧大成新式﹄︵元禄11年︵1698年︶︶ 字書類 ●﹃万葉仮名遣﹄︵元禄11年︵1698年︶︶ ●﹃三才全書俳林節用集﹄︵元禄13年︵1700年︶︶ ●﹃和漢故事要言﹄︵宝永2年︵1705年︶︶ 浮世草子 ●﹃御伽百物語﹄︵宝永3年︵1706年︶︶ ●﹃諸国因果物語﹄︵宝永4年︵1707年︶︶ ●﹃新玉櫛笥﹄︵宝永6年︵1709年︶︶ ●﹃吉日鎧曾我﹄︵宝永7年︵1710年︶︶ ●﹃高名太平記﹄︵刊年未詳︶ 作品集- 小川武彦『青木鷺水集』全5巻(ゆまに書房、1984年~1985年)