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竹原井頓宮

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青谷遺跡から転送)

竹原井頓宮(たけはらいとんぐう / たけはらいのかりみや)は、奈良時代行宮あるいは離宮の1つ。竹原井離宮竹原井行宮とも呼ばれる。

概要

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    [1]

宿

(一)32[2]

(二)63宿[3]

(三)1610[4]

(四)22竿[5]
青谷遺跡(大阪府柏原市

大阪府柏原市大字青谷の遺構が竹原井頓宮の跡に比定されており、そこは竜田道に沿い、大和川が南に湾曲する突出部になる景勝地で、大和川を隔てた南の明神山地の中腹に河内国分寺の塔の跡がある。遺構は南西の尾根を削って造成されたと推測され、回廊の北には築地塀が築かれ、平城京や難波宮・河内国分寺出土のものと同じ種類のが出土しており、外側には掘立柱の建物があったと推定されている。このほか、塼(せん)を側壁とする溝を巡らし、凝灰岩の切石で作られた、東西21メートル、南北12メートルの壇上積基壇が発掘されている。

脚注

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  1. ^ 『万葉集』巻第三、415番
  2. ^ 『続日本紀』巻第七、元正天皇 霊亀3年2月15日条
  3. ^ 『続日本紀』巻第十一、聖武天皇 天平6年3月17日条
  4. ^ 『続日本紀』巻第十五、聖武天皇 天平16年10月11日条
  5. ^ 『続日本紀』光仁天皇 宝亀2年2月21日条

参考文献

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  • 『続日本紀』2・5 新日本古典文学大系13・16 岩波書店、1990年・1998年
  • 『続日本紀』全現代語訳(上)・(下)、講談社学術文庫宇治谷孟:訳、1995年
  • 『萬葉集』(一)完訳日本の古典2、小学館、1982年

関連項目

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