駿牛図
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駿牛図︵すんぎゅうず︶は、古今の名牛を描いた鎌倉時代の似絵の図巻である。﹃駿牛図巻﹄ともいう。もと10頭の牛が描かれていたが、各図ごとに切断され、現在は8頭の図のみが伝わる。そのため、各図は﹃駿牛図断簡﹄とも呼ばれる。8図のうち、6図が国の重要文化財に指定されている。
![駿牛図断簡](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/09/%E9%A7%BF%E7%89%9B%E5%9B%B3%E6%96%AD%E7%B0%A1.jpg/220px-%E9%A7%BF%E7%89%9B%E5%9B%B3%E6%96%AD%E7%B0%A1.jpg)
﹃駿牛図断簡﹄︵東京国立博物館蔵︶
江戸時代の模本から、もとは10頭と牛飼い1人を描いた図巻であったことが判明している[1]。作者は不明であるが、横山由清﹃尚古図録﹄︵1876年︶に、﹃駿牛図﹄の模図一枚を掲載して、﹃室町御牛夏引并弥王丸図﹄、土佐越前守行光︵藤原行光︶筆として紹介している[2]。しかし、藤原行光は14世紀に活躍した人物であり、図巻の製作年︵13世紀︶とは合わない。
同書に掲載の住吉廣賢の解説によると、図巻はもと小浜家所蔵で8図あったが一枚ずつに切断したという。また当時、8図のうち、5図に題紙があったが3図の題紙はすでに失われていた。
鎌倉時代の牛の専門書﹃駿牛絵詞﹄に、﹁夏引 御厨牛 一名長黒 弥王丸﹂という名牛の紹介がある[3]。夏引︵別名・長黒︶という肥前国の御厨産の牛と名牛飼い・弥王丸のことで、同図はこれを描いたものと思われる[4] 。
ほかに東京国立博物館所蔵の断簡の箱書きにも﹁御室小額 牛銘﹂とある。やはり﹃駿牛絵詞﹄の﹁小額 筑紫牛 御室御牛﹂の牛銘を指していると思われる[5]。
﹃駿牛図断簡﹄の箱書きの多くには、﹁駿牛絵詞之切 八枚之内﹂とあるが、﹃駿牛絵詞﹄の絵部分ではなく、内容から別々のものであったと考えられている。それゆえ、﹃駿牛絵詞異本﹄とも称される[6]。
この図巻の牛は、似絵の技法で写実的に描かれており、牛を生写生もしくは伝写生したものであると考えられている。10図が8図になった時期は不明であるが、天明4年︵1784年︶の頃にはすでに8図になっていた[1]。
概要[編集]
![駿牛図断簡](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/09/%E9%A7%BF%E7%89%9B%E5%9B%B3%E6%96%AD%E7%B0%A1.jpg/220px-%E9%A7%BF%E7%89%9B%E5%9B%B3%E6%96%AD%E7%B0%A1.jpg)