高田蝶衣
高田 蝶衣︵たかだ ちょうい、1886年1月30日 - 1930年9月23日︶は、兵庫県津名郡釜口村字里︵現‥淡路市釜口字里︶出身の俳人。旧制洲本中学校卒。中学の教頭・大谷繞石の影響で俳句をはじめ﹁ホトトギス﹂に投句、同人誌﹁落葉﹂を主宰。1904年、早稲田大学政経科入学。1906年、高浜虚子の ﹁俳諧散心句会﹂に参加し指導を受ける。同年、肋膜炎のため大学を中退し帰郷。故郷で小学校の教諭となるが、病のため続かず俳句を主とし﹁ホトトギス﹂﹁懸葵﹂に投句した。1908年に句集﹃島舟﹄︵俳書堂︶を出版。河東碧梧桐門とも交流があった。1917年に神戸湊川神社の主典となったが、やはり病の悪化のため1919年に帰郷している。1930年、淡路島で死去。44歳。代表句に﹁この国の表裏をつくり山眠る﹂などがあり、清新な叙情性のある句風であった。没後1933年に﹃蝶衣句稿 青垣山﹄、1941年に﹃蝶衣俳句全集﹄が刊行されている。
参考文献[編集]
- 『現代俳句大事典』 三省堂、2005年
- 冨田拓也 「俳人ファイル ⅩⅩⅦ 高田蝶衣」 2009年5月9日
関連文献[編集]
- 小早川健 『俳人・高田蝶衣』 翰林書房 1993年