アナ・ボル論争(読み)アナボルろんそう

百科事典マイペディア 「アナ・ボル論争」の意味・わかりやすい解説

アナ・ボル論争【アナボルろんそう】

 
︿191719221923退
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アナ・ボル論争」の意味・わかりやすい解説

アナ・ボル論争
アナ・ボルろんそう

 
1921 1922 ()  ()  (1920) 19229 ()  ()  () AB ()   

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アナ・ボル論争」の意味・わかりやすい解説

アナ・ボル論争
あなぼるろんそう


()19198()()()192019215192279退

 

稿 1970

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「アナ・ボル論争」の解説

アナ・ボル論争
アナ・ボルろんそう

大正期後半の無政府主義者と社会主義者との労働運動の組織論をめぐる論争。前者アナーキスト,後者がボリシェビキといわれたのが語源。「冬の時代」を通じて前者の大杉栄らが堺利彦ら後者より活発で,影響力もあった。しかし米騒動やロシア革命の紹介によって後者も次第に活発化した。両者合同の日本社会主義同盟が解散し,共産党結成後の1922年(大正11)9月,両派合同の日本労働組合総連合結成が企図されたが,前者の自由連合論と後者の中央集権論とが対立,紛糾のうちに解散させられた。以後ボル派の台頭に対してアナ派は衰退し,とくに関東大震災での大杉の虐殺で混迷,テロリスト化していった。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

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