エンクルマ(読み)えんくるま(英語表記)Kwame Nkrumah

デジタル大辞泉 「エンクルマ」の意味・読み・例文・類語

エンクルマ(Kwame Nkrumah)

[1909~1972]ガーナ政治家。独立運動を指導し、1957年、ガーナ独立時に初代首相、のち大統領に就任。社会主義化政策をとるとともに、アフリカ統一運動を推進した。

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精選版 日本国語大辞典 「エンクルマ」の意味・読み・例文・類語

エンクルマ

 

(一)( Kwame Nkrumah  ) 
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エンクルマ」の意味・わかりやすい解説

エンクルマ
えんくるま
Kwame Nkrumah
(1909―1972)


()西19351945西194551947NGCCJB19496CPP19512CPP19546195771957319607

 19662()1972427



196119621964

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改訂新版 世界大百科事典 「エンクルマ」の意味・わかりやすい解説

エンクルマ
Kwame Nkrumah
生没年:1909-72


西沿193035-4545西4510547495057606621957


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エンクルマ」の意味・わかりやすい解説

エンクルマ
Nkrumah, Francis Nwia Kofia (Kwame)

[生]1909.9.18. エンジマ
[没]1972.4.27. ブカレスト
ガーナの政治家,汎アフリカ主義の指導者。 1935~45年アメリカに,45年からイギリスに留学,西アフリカ学生同盟 (ロンドン) の副会長をつとめた。 45年 10月の第5回汎アフリカ会議 (マンチェスター会議 ) では G.パドモアとともに共同書記として活躍,それまでアメリカ黒人の手にあった汎アフリカ主義運動の指導権をアフリカ人の手に移すことに貢献した。 47年帰国し,統一ゴールドコースト会議書記長。 49年即時独立を主張し,会議人民党 CPPを結成,書記長となった。 51年獄中から CPPを率いて植民地議会選挙に勝利。 57年3月独立とともに初代首相。 60年7月共和政移行に伴い初代大統領。オサギエフォ (救世主) と呼ばれた。アフリカ的社会主義に裏打ちされた大陸の政治的統一を強く主張し,アフリカ合衆国の創設を唱えた。 66年2月中国訪問中に軍部のクーデターが起り失脚。ギニアに亡命し,復権の機をうかがっていたが,72年癌のため療養先のルーマニアの病院で客死した。独立期アフリカの指導者中有数の理論家で,『植民地の自由に向って』 Towards Colonial Freedom (1962) ,『アフリカは統一する』 Africa Must Unite (63) ,『新植民地主義』 Neo-Colonialism (65) ,『解放運動と武力闘争』 Challenge of the Congo (67) ,『革命戦争ハンドブック』 Handbook of Revolutionary Warfare (69) ,『アフリカ解放の道』 Class Struggle in Africa (70) など多くの著作がある。

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百科事典マイペディア 「エンクルマ」の意味・わかりやすい解説

エンクルマ

ガーナの政治家。初め教師で,のち米・英に留学,早くからパン・アフリカニズムに共鳴して独立運動に参加した。1949年会議人民党を組織,1957年ガーナ独立とともに初代首相,1960年大統領となり,アフリカ統一・反植民地主義運動の指導的存在であった。1966年軍部クーデタで失脚し,ギニアに亡命した。主著《わが祖国への自伝》《アフリカは統一されなければならない》《新植民主義》。
→関連項目アクラアーマガーナ西アフリカ学生同盟パドモア

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「エンクルマ」の解説

エンクルマ
Kwame Nkrumah


190972

19354545西47505157(195760)60(196066)66

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旺文社世界史事典 三訂版 「エンクルマ」の解説

エンクルマ
Francis Nwia Kofie Kwame Nkrumah

1909〜72
ガーナ初代大統領(在任1960〜66)
小学校教師を経て,独立運動に参加。1952年黄金海岸首相となり,57年イギリス連邦内のガーナ共和国として独立,初代首相となり,60年初代大統領となった。パン−アフリカ主義を唱え,1958年には全アフリカ人民会議を開催するなど,アフリカの統一と独立を積極的に進めた。のちに独裁化し,列強の介入をうける中,1966年軍部クーデタにより失脚し,ギニアに亡命した。ルーマニアで死去。

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世界大百科事典(旧版)内のエンクルマの言及

【ガーナ】より

…先鞭をつけたのは47年に創設された統一ゴールド・コースト会議(UGCC)で,〈できるだけ早く自治を達成すること〉を目標に運動を展開した。1935‐45年のアメリカ留学を終えてロンドンでパン・アフリカニズム運動を推進していたエンクルマは,請われて帰国ののちUGCCの書記長に就任し,48年2~3月に起こった一連のデモや暴動を機に,ゴールド・コーストの行政権を〈族長と民衆の代表からなる暫定政府〉に即時移譲するよう要求した。しかしイギリスはこれを拒否し,エンクルマを含むUGCCの幹部を逮捕するといった強硬手段にでたため,UGCC指導部内にエンクルマの急進主義に対する批判が強まり,彼は書記長を解任された。…

【パン・アフリカニズム】より

…同連盟の準備活動を基礎に,第2次世界大戦直後の45年10月マンチェスターで第5回パン・アフリカ会議が開催された。この会議は,運動の主導権がそれまでのアフリカ系知識人からエンクルマらアフリカ知識人に移ったこと,多数のアフリカの政党,政治組織の参加を得てアフリカ・ナショナリズムと結合したこと,などの点で画期的な会議であった。 これ以後パン・アフリカニズムはアフリカ大陸に導入され,アフリカの独立と統一を直接の目標として一大飛躍を遂げた。…

※「エンクルマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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