改訂新版 世界大百科事典 「ザンド朝」の意味・わかりやすい解説
ザンド朝 (ザンドちょう)
Zand
︿ゼンド朝﹀ともいう。イラン系ザンド族のカリーム・ハーンが建てたイランの王朝。1750-94年。アフシャール朝のナーディル・シャー暗殺後の混乱に乗じて,カリーム・ハーンはイスファハーンでサファビー朝の後裔を擁立,彼の摂政になった︵1750︶。その後一時タブリーズに拠るアーザード・ハーンの軍にペルシア湾岸まで追われたが,シーラーズに拠って盛り返した。そして58年,最強の敵アスタラーバードに拠るカージャール族のモハンマド・ハサン・ハーンを破り,63年ホラーサーンを除くイラン全土に君臨した。彼は生涯シャー︵王︶号を用いず,ワキール︵摂政︶と称し,農民を重税から解放,産業・商業の振興に努めた。また,貿易を盛んにするためイギリス東インド会社に種々の特権を与え,ペルシア湾貿易の要港バスラをオスマン帝国から奪取した。彼が没するや,たちまち王位継承争いが生じ,同王朝は急速に衰退,94年カージャール朝の始祖アーガー・ムハンマド・ハーンに滅ぼされた。
執筆者‥羽田 亨一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報