イラン(読み)いらん(英語表記)Iran

翻訳|Iran

精選版 日本国語大辞典 「イラン」の意味・読み・例文・類語

イラン

 

(一)( Iran ) 西
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「イラン」の意味・わかりやすい解説

イラン
いらん
Iran

総論


Keshvar-e Jomhūrī-ye Irān-e IslāmPārsaPersisPersia1935111648195712080002007143

 西西1970197922500


自然

地形

イラン北部を東西にアルボルズ山脈が、北西部から南東部にザーグロス山脈が走り、この両褶曲(しゅうきょく)山脈の間に標高1000~2000メートルのイラン高原が形成されている。両山脈はアルプス‐ヒマラヤ造山帯に属し、前者は新生代鮮新世の造山運動により、後者は白亜紀後期、早期鮮新世の造山運動の影響を強く受け、後期中新世と鮮新世の長い期間にわたる褶曲によって現在みられる大山系が出現した。国土の大部分はイラン高原上にあり、低地はカスピ海岸、ペルシア湾岸のわずかな部分にすぎない。高原部は乾燥していて、その中央部には、かつては湖底だったカビールとルートの二大砂漠が横たわり、両辺縁部には多くの褶曲山脈が並行して走っている。北西部には塩分の多いウルミーエ湖があり、中央部にはナマク湖など塩湖が多い。季節的に水のなくなる河川や、下流が砂漠に消える尻無(しりなし)川も多い。最大の内陸河川はイスファハーンを貫流するザーヤンデ・ルード(川)で、この川はガーブハーニー沼に流れ込んでいる。南東部にはザーグロス山脈から流れ出るカールーン川があり、その流域に平野が広がっている。

[岡﨑正孝]

気候

地域によって大きく異なる。高原部は大陸性で乾燥しており、テヘランでは年降水量219.2ミリメートル、7月の湿度は24%である。降水は冬に集中し、夏期にはほとんど雨が降らない。カスピ海沿岸地方は地中海性気候を示し、カスピ海を通ってくる湿気を帯びた風と後背のアルボルズ山脈の影響で降水量も多く、かつ温暖である。またペルシア湾岸低地では降水量は少なく、アラビア半島から吹き寄せる熱風の影響で高温多湿である。北西部は半乾燥地域に属し、比較的降水が多い。

[岡﨑正孝]

地誌


4250湿()()綿

 西30050019

 500西1000()綿()4.51632002

 250湿60湿調西195020


歴史

イスラム前

1000西7550331323250500西()226


イスラム時代

642910西12581370

 15017017221736471750791818281919061908西192121925


パフラビー朝

レザー・シャーは中央集権的行政機構を整え、軍事、法制、学制などの近代化を図った。そのほか、イラン縦貫鉄道の完成、チャドル(女性の外被)廃止などもなされた。西欧化政策を強権によって推進する一方、古代イランの伝統の復活を図り、カーペット織りなど伝統工芸を保護したり、イスラム暦にかわり伝統的暦法を公用暦に採用した。第二次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)するとイランは中立を宣言したが、1941年イギリス、ソ連両軍はイランに侵入、シャー(国王)は退位しモーリシャスに亡命した。大戦中イランは連合軍に協力、兵站(へいたん)供給地となった。1951年には首相モサデクを指導者とする石油国有化運動が起こり、石油事業に利権を有するイギリスとの間で紛争が生じたが、1953年にはザーヘディ将軍によるモサデク打倒のクーデターが成功、1954年アメリカの石油会社を含む国際石油財団(コンソーシアム)が石油事業を行うことになった。モサデク失脚後帰国したパフラビー朝2代目の国王ムハンマド・レザー・シャー(パーレビ国王)は、1962年からは農地改革、女性参政権付与など6項目からなる内政改革(「白色革命」)を実施、経済も順調に発展した。経済成長率は1950年代には4.5%であったが、1960年代には9~10%、1971年14.3%、1974年51%と高度成長を実現した。経済の発展を背景に1967年には国王の戴冠(たいかん)式、1971年に建国2500年祭を挙行、国威を発揚した。

[岡﨑正孝]

イラン・イスラム共和国の成立

197819121015019791162125Shāpūr Bakhtiyār19141991211殿33041114使()198112444198024Abū al-Hasan Bani Sadr19332021IRP19816IRPIRPIRPIRP1981113350


政治

政治制度

1979122使使42904219893

 1978IRPIRPIRP198719791997528Ali Akbar Nateq Nouri1943 19997200128

 2005681981Mohammad-Ali Rajai19331981


地方行政

28の州(オスタン)に分かれている。この下に県(シャハレスタン)が置かれ、その下に郡(バフシュ)がある。各地方行政の長は中央より任命される。郡のなかには町(シャフル)と村(デヘスタン)がある。これらの行政機構とは別に、革命後にはモスクが配給物資分配を行うなど行政の一部を肩代りした。

[岡﨑正孝]

外交

1955()197911使1981120444197911198019881989Salman Rushdie1947 1989調1993199719981119997使101995199620021

 20022003IAEA20041120058200612IAEA34姿71220073


防衛

パフラビー朝のレザー・シャーが近代的軍隊を創設、旧王制軍は総兵力54万5600人を擁し、「ペルシア湾の憲兵」の役割を果たした。現在は最高指導者を最高司令官とし、最高国防評議会の下に陸軍約35万人、海軍1万8000人、空軍5万2000人の軍隊をもつ(推定)。また、正規軍とは別に民兵部隊を一本化した約12万5000人の革命防衛隊があり、王制時代の秘密警察サバクSAVAKにかわりサバマSAVAMAが組織されている。

[岡﨑正孝]

経済・産業

概説

1925年にパフラビー朝を建てたレザー・シャーによって近代産業がおこされ、セメント工場や繊維工場などがつくられ、製鉄所建設も計画された。第二次世界大戦後は1949年以降1978年まで5次にわたり開発計画が実施され、おもに石油収入やアメリカの経済援助を財源とし経済各分野の近代化が図られた。とくに1963年からは「白色革命」の実施と並行し、石油収入の飛躍的増大もあり高度経済成長期を迎えた。しかし、イラン革命による混乱、イラン・イラク戦争などによって経済活動は停滞、1980年の国民総生産(GNP)は1977年の約71%に縮小したといわれたが、その後経済の建て直しを図り、1997年には1086億1400万ドル、2003年には1368億ドル、2005年には1885億ドル(IMF暫定値)となっている。1人当りGNPは2802ドルに達し、GDP成長率は5.8%(2007)と高い水準にある。

[岡﨑正孝]

資源・鉱工業

1901William Knox D'Arcy184919171908190919145050194919513195319541973NIOCNIOC

 2006137511.42197658819801701998377200643419731019741419734419741702006320073624580024

 196219711973231919731989退

 1999西2602000200320042NIOC75200665NIOC10


農林・水産業

6224800037.716117000200314502903502005()1962200554002650880200


貿易




交通

1938年にペルシア湾のバンダル・ホメイニとカスピ海のバンダル・トルクマーンを結ぶ鉄道が完成、のちにテヘラン―ジョルファ、テヘラン―マシュハド、コム―ケルマーン線がつくられた。道路網の整備も進み、幹線道路は舗装され、高速道路もいくつか建設された。もっとも重要な港湾は、ペルシア湾のホッラムシャフルで、ほかにバンダル・ホメイニ、ブーシェフル、バンダル・アッバースがある。テヘランとアバダーンは国際航空の要地である。なお、2004年に開港したテヘランのイマーム・ホメイニ空港は、空港運営をめぐる政府と保守派の対立により開港直後に閉鎖されていたが、翌2005年4月に運行が再開された。ほかにテヘランにはメフラバード空港がある。

[岡﨑正孝]

社会

住民

711

 3西西35019西2506010010宿600


言語




国民生活

64.720011956157196629819764451996675884520037192001302545197019766919631GNI30002006

 194351963172197852020012002751195615196638197763199478.465.820031579.485.6731935199419953030122912

 西62261西6221354


宗教

998910319


文化

イラン人は偉大な歴史的栄光と輝かしい文化的遺産に大きな誇りをもっている。とりわけ彼らは詩を好み、10世紀に著されたフィルドウスィーの『王書』をはじめ、15世紀末までに輩出したウマル・アル・ハイヤーミー、ニザーミー、サーディー、ハーフィズなどの詩に強い愛着を抱いている。詩は知識層の独占ではなく、国民のあらゆる層に浸透している。一方、散文は詩ほど重要ではない。イランでもアラブ征服後、絵画は発達しなかったが、13世紀以降歴史書や詩書の挿絵としてミニアチュールが描かれるようになり、15~16世紀には巨匠ベヘザードUstād Kamāl Ad-dīn Behzād(1455?―1536?)など多くの偉大な画家が出た。ペルシアの陶器は輝かしい伝統をもち、とくにセルジューク時代に隆盛の極に達した。ペルシアじゅうたんは、16世紀にサファビー朝の保護を受けて高級品が織られ、世界的に有名になり、19世紀には欧米でペルシアじゅうたんの需要が高まった。現在でも手織りであり、高価で、イラン人の蓄財の手段となっている。イラン人のシーア派教徒は、シーア派のイマーム(指導者)、ホセインの殉教日(アーシューラー)には殉教をしのび、苦しみを身をもって味わうなど、宗教的に熱狂する。一方、古代イランからの伝統的な行事である新年の祝日(春分の日)は、全国民にとって最大の祝日である。イラン人は客を歓待し、礼儀正しく、儀礼好きである。また自尊心が高く、自己主張が強い。自然条件が厳しいため水と緑へのあこがれは強く、水や緑をたいせつにする。

 新聞および月刊、週刊の雑誌は各種ある。これまで政治的空白期以外は言論・表現の自由はなかったが、大統領のハタミによる「現実路線」への改革で、かなり自由な発言が保障されるようになった。

[岡﨑正孝]

日本との関係


188013調1852192118961899()18621936調190235()1877194719261519421741945319532819581973IJPC退1980199249197420045403673

 1271320071979199952900199319998()1942 200019999



1970西19721975197519771980198119811993199719971999 2000西2000貿2000貿E禿2001西20026520042005 

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改訂新版 世界大百科事典 「イラン」の意味・わかりやすい解説

イラン
Īrān



Jumhūrī-ye Eslāmī-ye ĪrānIslamic Republic of Iran 
1648195km2 
20107434 
Teheran5.5 
 
Iranian Rial

西西

︿︿Aryān︿︿︿Īrān西︿Persis121935113123使西


西3000m5671m沿西3000m700m300m西1500m

 250mm100mmLūSīstān500mm西

 257304013便

 沿Māzandarān湿1000mm湿綿

 西

 

778︿2西使9Darī821-873867-903875-999西15161500-9910977-11861038-11941077-12311258-13531370-15071501-17361736-961779-19251925-79


1911804-1321826-2811837-3821856-571857西21828

 191891-92西1905-11Majles-e shūrā-ye mellī190610Qānūn-e asāsī︿mellat825

 mellat︿西vaanmardom

 195021911︿調︿19251921

 21963︿70SAVAK5019792︿3︿12

 ︿1970︿︿︿58107112︿使56︿110調

 809887908


19517379197080

 1977240878696175︿GDP197732%9516%9%25%GDP1991197719763370864940GDP1977150088700

 195161%6.4%5.8%7794%1.3%0.9%9675%11%3.2%1951貿7014419514843%10%27%54%809590240貿659613324%64%195122%18%11%7719%16%16%西9419%9%8%6%3%4%1%4%1990西貿

 195669%7653%8646%2.89%195656%1962-7119600.2%100ha8.7%80%18631929%216172%197657%77550t911000t

 195613.8%90%1050220108304551968-7373-78197616619%1966-76409202560002802202651%26西7710089771329453000198930%9290%


6223199620%

 西西

 1950%16.5%西Kūh GarūsMamassanīKhamseh2030200

 西19使2︿1963

 1956-76667544.3%500076361︿6767604219767645013.4%600791920-301/32/3

 1501āyatullāhmojtahed

 1851Dār al-Fonūn193543765614.9%63︿6574


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百科事典マイペディア 「イラン」の意味・わかりやすい解説

イラン

 
Jumhuri-ye Eslami-ye IranIslamic Republic of Iran1628771km275152011Teheran815201198Iranian RialHassan Rouhani201384Seyyed Ali Khamenei19381989619811989197912198972904(2015)GDP22292006GDP2767200525.22003寿72.276.1201322201084.32012        西西1025() 66421618192519411963︿1973 197924121989619975︿20016200220BP19511953200562009120096201072011姿2013650 20139姿20131161522034西5IAEA6姿︿︿姿6︿︿︿5︿IAEA︿西姿姿201546︿︿︿使10316104︿1510300︿使IAEA︿IAEAIAEAIAEA︿︿ 2015 20032009
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イラン」の意味・わかりやすい解説

イラン
Iran

 
  Jomhūrī-ye Eslāmī-ye Īrān
 1635518km2
 850050002021
 

西西沿湿 35%1908西195319791925198088  

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「イラン」の解説

イラン
Īrān


西86西435003729101314151618181925西791935

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世界大百科事典(旧版)内のイランの言及

【ペルシア】より

…おもに欧米で用いられてきたイランの別称。もともとはアケメネス朝が拠ったイラン南西部の一地方名パールサPārsa(現代ペルシア語ではアラビア語化されたファールスFārsとして残っている)に由来するが,アケメネス朝のイラン高原統一によってイラン全体を含む概念に拡大された。…

※「イラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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