朝日日本歴史人物事典 「ドンケル=クルティウス」の解説 ドンケル=クルティウス 没年‥1879.11.27(1879.11.27) 生年‥1813.4.21 幕末のオランダの外交官。アルンヘムに牧師の長男として生まれる。1830年ライデン大学法学部入学,38年東インド総督府1等文官,39年セマラング司法局判事,46年陸軍法務院判事,47年東インド高等法院判事を歴任,52年4月7日,対日交渉の適任者として任命され,同年7月21日長崎に着任,11月1日オランダ商館長となる。安政2(1855)年の夏,駐日オランダ国王特命全権領事官を兼ね,同年12月23日(1856年1月30日)日蘭和親条約,安政5年7月10日(8月18日)日蘭修好通商条約を締結した。翌5年11月辞任。さらにその翌年,初代駐日総領事ウィットに後事を引き継ぎ,10月まで日本に滞在した。﹃実用日本語文法﹄(1857)を書く。 (内海孝) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ドンケル=クルティウス」の解説 ドンケル=クルティウス Donker Curtius, Jan Hendrik 1813-1879 オランダの外交官。 1813年4月21日生まれ。嘉永(かえい)5年(1852)長崎オランダ商館長として来日。アメリカの艦隊派遣,開国要求を幕府に予告。幕府の依頼で軍艦発注,海軍伝習などに尽力し,安政2年日蘭和親条約をむすぶ。日本書籍の収集で知られ,その図書はのちライデン大の収蔵となる。1879年11月27日死去。66歳。著作に﹁日本文法稿本﹂。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例