琉球処分(読み)リュウキュウショブン

デジタル大辞泉 「琉球処分」の意味・読み・例文・類語

りゅうきゅう‐しょぶん〔リウキウ‐〕【×琉球処分】

明治政府琉球に対し、への冊封関係の廃止を求め、武力を背景に強制的に日本へ統合した過程をいう。明治12年(1879)琉球藩を廃し、沖縄県が置かれることとなった。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「琉球処分」の意味・読み・例文・類語

りゅうきゅう‐しょぶんリウキウ‥【琉球処分】

 

(一)   
 

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「琉球処分」の意味・わかりやすい解説

琉球処分
りゅうきゅうしょぶん

1879年(明治12)に明治政府の手で行われた沖縄の廃藩置県のことで、これにより琉球王国は崩壊し沖縄県が設置された。なお後述のように、1872年の琉球藩設置から80年の中国(清(しん)国)と明治政府の外交問題である分島問題までの一連の過程(いわゆる琉球帰属問題)をさして広義に使う場合もある。

[高良倉吉]

背景


()()貿()

 1871鹿11()695472使()74()


経過


18755()71使2使3使791330016031131()

 ()調187978010()1871沿調189495


評価

前述したような背景・経過をもつ琉球処分とはいったいなんだったのか、第二次世界大戦前から多くの研究者がさまざまな評価を行っている。大づかみに整理すると、〔1〕日本における近代国家形成時の民族統一の一環として積極的に評価する見解、〔2〕民族統一の一環である点は疑いないが、統一の過程に現れた強権的・国家的側面を同時に重視すべきだとする見解、〔3〕民族統一というよりも侵略的な併合とみるべきではないかとする見解、に大別される。しかし〔1〕~〔3〕の見解内部でも論者によりニュアンスが異なるなど、評価はかならずしも一致していない。そのことは、民族統一であったはずの沖縄の廃藩置県の直後に、分島問題が惹起(じゃっき)した点に象徴されるように、もっぱら明治政府の都合により処分が推進され、琉球住民の意向を十分にくみ取ることなく、他律的な形で実施されたことが、評価をむずかしくさせているからである。琉球処分のこうした性格に絡んで、第二次世界大戦後、とくに1972年(昭和47)前後の沖縄返還問題をめぐる日本国政府の沖縄施策を批判する際に、「第二の琉球処分」という用語も登場したほどである。

 琉球処分が琉球王国を崩壊させ、47番目の県を日本につくったのは紛れもない事実である。そしてまた、この事件以後、琉球住民が沖縄県民として日本社会の一員となったことも事実である。このことは、琉球処分が多くの問題を含みつつも歴史的には民族統一の一環としての意義を帯びたものだったことを教えてくれる。同時に、近代日本の民族統一過程は琉球処分にみるような問題をも包含しつつ展開したことを認知する必要があることも教えている。

[高良倉吉]

『金城正篤著『琉球処分論』(1978・沖縄タイムス社)』『我部政男著『明治国家と沖縄』(1979・三一書房)』『安良城盛昭著『新・沖縄史論』(1980・沖縄タイムス社)』『比屋根照夫著『自由民権思想と沖縄』(1983・研文出版)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「琉球処分」の意味・わかりやすい解説

琉球処分【りゅうきゅうしょぶん】

 
18721879︿1874()()()1.()2.使3.4.1879()1880調
 

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「琉球処分」の意味・わかりやすい解説

琉球処分 (りゅうきゅうしょぶん)


187259︿︿︿74︿79327300160︿︿331450

 使8094-95

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「琉球処分」の意味・わかりやすい解説

琉球処分
りゅうきゅうしょぶん

明治政府のもとでなされた沖縄に対する強行的な廃藩置県。政府は,明治5 (1872) 年に琉球国を廃して琉球藩とし,中央政府の管轄とした。 1875年には内務官僚松田道之を処分官として琉球に派遣し,中国との関係を廃絶することを要求するなど,政府の処分の方針を伝えた。政府のこの措置に対しては,地元の士族層を中心とする反対運動があったが,政府は軍隊と警官を差向けてそれを押え,79年3月,琉球藩を廃し,沖縄県を設置する旨通告した。旧国王は東京移住を命じられ,ここに琉球王国は約 500年にわたる歴史を閉じて,日本の一県として措定された。 (→琉球 )  

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「琉球処分」の解説

琉球処分
りゅうきゅうしょぶん

明治政府による琉球国の日本国への併合に至る一連の措置をいう。処分の経過は三つの段階に区分される。1872~74年(明治5~7)の第1段階では,琉球王国を琉球藩に,国王を藩王に改称し,外務省の管轄下におき,日本軍の台湾出兵を契機に外務省から内務省へ移管。75~79年の第2段階では,冊封進貢関係廃止,明治年号の使用などを命じ,裁判権の接収を強行。79年3月~81年3月の第3段階では,廃藩置県を宣言して併合を完了したが,琉球および清国側の抵抗にあい,前米国大統領グラントの調停を契機に琉球分割条約を締結するものの,琉球人の抵抗などにより廃案となり,以後併合の既成事実を積み重ねる。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の琉球処分の言及

【松田道之】より

…鳥取藩士の家に生まれる。1871年(明治4)京都府大参事から大津県令に累進,75年3月内務卿大久保利通により内務大丞に抜擢され琉球処分を担当,来琉すること3回。第1回は同年7月10日から9月10日までの2ヵ月間で,琉球藩首脳に清国への進貢停止等の令達を伝え,令達の受諾をめぐって談判を繰り返したが,琉球藩首脳は執拗に抵抗,松田の説得は失敗に終わる。…

【琉球】より


()1879()︿

※「琉球処分」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

選挙公営

国または地方公共団体が個々の候補者の選挙費用の一部または全額を負担すること。選挙に金がかかりすぎ,政治腐敗の原因になっていることや,候補者の個人的な財力によって選挙に不公平が生じないようにという目的で...

選挙公営の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android